フォトアルバム
 

« 2011年2月 | メイン | 2011年4月 »

2011年3月31日 (木曜日)

避難直前の動画。


YouTube: 避難直前の動画(石巻の駅前北通り)。

2011年3月29日 (火曜日)

地震と現在まで。その2

ハローワークは正式な避難所では無かったが、沢山の人が居た。3階建ての建物の上まで。自家発電があったので明かりは少しあった。しかし食料は無く、せいぜい水だけ。11日の夜はほぼ水だけで過ごした。夜中には緊急地震速報が出て外に避難したがその時は体がすぐに震える程の寒さ。そして南浜町方面は火事で赤く染まった煙が夜明けまで続き、防災無線で大手町、日和が丘の住民に避難勧告が発表された。そのまま延焼し、ハローワークまで炎がくる予感がしてほとんど眠らないまま夜明けになった。

次の日は周りの様子を見るために立町方面を見てきた。

Img_0040

Img_0041

ほぼ壊滅。立町方面の津波はそれほど水位が高くなかったようだが勢いは有った様でこんな状態。

大好きな飲屋街が全て津波にのまれていました。

一度ハローワークに戻り、イギリス人の通称ボビーを残し、今度は嫁さんと門脇付近に行ってみた。

行く途中、嫁さんの母親に会った。ハローワークに避難しているのをメールしていたので様子を見にきたらしい。

嫁さんの母親の職場は病院で、門脇の川っぷち。病院の1階天井付近まで津波がきたらしい。急いで上の階まで患者を上げ全員無事だったようだ。

病院まで一緒に降り、その後日和山経由でハローワークに戻ったがその時に写真を撮った。

Img_0047

Img_0049

Img_0051

Img_0053

シーバスの聖地、中瀬には自由の女神と漫画館だけがまともに残っていてそれ以外の建物はぶち壊れていた。地面も流されて釣りの時に駐車していた場所は無く、釣りの時立つ場所はわずかに残っているのみ。悲しくなった。

内海橋も昔のチリ地震津波の記事を見た時と同じ様な状況。思い出のあるライブハウス、ラストラーダにも船が刺さっている。

そして、日和山に登り火事が起きていた南浜町を見て絶句。焼け野原。爆弾でも落ちたのかと思う程。

そこから泣きながら景色を見ている人が沢山いたのでとても写真を撮る気にはなれませんでした。

こんな事が自分が生きている間に起こるとは夢にも思いませんでした。

2011年3月25日 (金曜日)

地震と現在まで。

11日は、仕事の途中で地震に合いました。たまたま、仕事で使うノートパソコンをアパートに忘れたので取りに行き、一杯コーヒーでも飲んでから仕事に戻るか、というタイミングで体験した事の無い激しい揺れ。

テレビが倒れ、釣竿が折れて食器棚も綺麗にぶっ倒れて壁にはヒビ割れ。一度外に退避し、雪の中立ち尽くしていたが間も無く大津波警報。荷物をまとめて車も捨て、羽黒山の階段に向かい歩いた。

羽黒山の階段を少し登り、後ろを振り返ると石巻の立町通りには濁流が流れてきた。あと2分遅かったら流されたかも知れません。

暫く羽黒山付近で待機していましたが、雪も激しいので移動。最終的にはハローワークに避難しました。嫁と、嫁の同僚のイギリス人と三人で。

2011年3月 9日 (水曜日)

生津波

今日の地震はなかなかの揺れでしたね。

今日は仕事で牡鹿半島の大原、荻浜、雄勝の船越と雄勝という順番だったのですが船越で作業中地震が!

そして町内の防災無線で直ぐに津波注意報のアナウンスが。その時も余震が続いていました。ラジオを聴いていると各地で津波の観測。

2時頃、船越から雄勝の支所の方へ車で移動していたのですがその時目にしたのがリアル津波!!

波は全然ないのにひとすじの小さな波が沖から迫ってくる!人生初!感動して鳥肌が立ちました。

防波堤には多くの漁師さん達と消防車。ただ一人、浮いていたのは真剣な顔面でヘチを探り釣りしているじい様。

今日の所は竿を納める訳にはいかないか…。

潮が下げていた時間だったから冠水などはなさそうでしたが、満潮時間だったらやばかったですね。

そしてこの雪!今日はまさに天変地異!